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SNSでの論争はなぜ不毛なのか?相対化ラリーの心理と問題点を徹底解説

 

結論

SNS上で繰り広げられる論争は、しばしば「問題解決」ではなく「感情処理」に終始してしまう。特に「男がこうだから女も」「女がこうだから男も」といった相対化のラリーは、論点をすり替えることで自分を守る心理が働いているに過ぎず、本質的な議論は一切進まない。この構造こそが不毛さと不快感の根源である。

 


SNSの論争はなぜ不毛なのか?

SNSは「議論の場」ではなく「自己表現と感情処理の場」として機能している。つまり、相手を説得したり、問題解決に導くためではなく、自分の不満や怒りを放出するために投稿されることが多い。そのため、冷静に議論しようとしても感情のぶつけ合いに終わる構造的欠陥がある。

 


相対化ラリーとは何か?

典型的な形は「男が〜だから女も」「女が〜だから男も」という言い返しである。これは論点を相手に投げ返すだけで、自分の加害性や社会構造の不平等と向き合うことを避ける心理反応である。学術的には「whataboutism(お前だって論法)」と呼ばれる。議論は進まず、「責任の押し付け合い」に終始する。

 


なぜ人は相対化ラリーに走るのか?

・批判を受け入れるより「相手も悪い」と言い返す方が楽だから

・自分の属する集団(性別、立場)を守るための防衛反応

・問題の本質(性差別や不平等)に向き合うと心理的な痛みが大きいから

結果として、相手を叩くことで一時的な安心感を得るが、議論自体は不毛に終わる。

 


なぜ不快に感じるのか?

表面的には議論しているように見えて、実際には「問題から逃げている」ことが透けて見えるためである。さらに逃げるために「相手を傷つける」行為を伴うため、不誠実さが際立ち、真剣に考える人ほど強い不快感を覚える。

 


本来向き合うべき論点とは?

例えば「痴漢問題」であれば「どうすれば女性が安心して通勤できるのか?」が核心である。ところが現実には「女もやってるだろ」「男も被害者だ」と論点がずらされ、肝心の「被害をどう防ぐか」には一切答えが出ない。これがSNS論争の最大の問題点だ。

 


どう受け止めるべきか?

SNSは「問題解決の場」ではなく「感情処理の場」と割り切る

・すり替え論法に巻き込まれず「本来のテーマ」を別の場で掘り下げる

・感じた違和感や怒りを文章化して残すことで「逃げない視点」として社会に価値を提供できる

 


結論まとめ

SNS論争の不毛さは、相手を論破することではなく「問題を相対化して投げ返すだけ」の構造にある。だからこそ「なーーんにも進まない」という虚しさが生まれる。本来向き合うべきは「誰が悪いか」ではなく「どうすれば社会が安全で公正になるか」である。その視点を持ち続ける人の存在が、雑音に埋もれがちなSNS空間において重要である。

 


参考文献

・Timothy Snyder, On Tyranny(whataboutismの概念解説)

・Jonathan Haidt, The Righteous Mind(人間の道徳心理と感情の影響)

山岸俊男『安心社会から信頼社会へ』講談社(日本社会における対人関係の構造)